Kyrie

リュックとカメラとノートブックと

【寄稿】最近僕が大切にしている言葉  かみじょー

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written by かみじょー
 
 
世界の涯てでお茶を飲むのキリちゃんが寄稿を募集しているということで、
今回は友情!愛情!俺、かみじょー!寄稿させて頂きました。
 

 

 お題は、

ハイテンションを封印した、僕にとっての言葉ということです。

 

基本的に、僕も日常的に文字を書く生活をしていますが、
言葉選びはむしろ日常生活の中で大きく影響してくる部分だと
痛感したのも、こうして毎日何かしら文字を綴るようになってからです。
 
さて、今回はそんな僕が日常的に意識している「言葉」について書かせていただきます。
 
 
■かみじょーが大切にしている言葉と思い
さてここでは、そんな僕が大切にしている言葉と思いを紹介していきましょう。
 
 
”3年間同じ事をしていたら、それは成長していない証拠”
 
3年間というのは一つの目安でしかありませんが、
ちょっと立ち止まって考えてみましょう。
3年前と生活水準も自分の思考レベルにも変化がなければ、それは
成長していないという事です。
 
この意識が大切。
常に成長していくためには、
どこまで進んでいるのか、時に指し測らなくてはなりません。
 
もしかしたら堂々巡りをしながら袋小路に迷い込んでいるのかもしれません。
 
勇気を出して、新しい道を時に探す勇気、これが必要になる時もあります。
 
 
 
 
”停滞が続くのであれば、それは方法が間違っている”
 
次に、こちらです。
人生は地図。
地図の何処に自分が位置しているのかな?
僕は最近そればかり考えます。
そして、思ったよりもそれが進んでいる場合もあれば、
同じ場所にとどまり続けているということもあります。
 
進めない理由は、幾つもあるでしょう。
 
不安、無知、恐怖、怠惰。
 
しかし、人生に何かしらの目的を見いだせるのであれば、
いつまでも一処に留まり続けるのはいけない。
 
それは、引っ越しをしなさい。
とか
違う街へ行きなさい。
とか
そういうのじゃなく、
 
”自分”という個体が、
どのくらいの速度でどんな旅をするのか、
ちょっと俯瞰してみるような感覚で内省する習慣。
 
特別な何かを持たなくても、
ちょっと心を落ち着かして考えてみればできる行為。
 
しかし、忙しさに埋没していると、なかなかできない行為。
 
 
それを行うためには、
過去の一時期を留めた写真やブログ、または縁故ある知人などに再会してみる。
 
 
人間は死ぬまでランナーであり、人生はマラソン。
そんな風に思っていた。
生後まもなく、何かしらの組織、コミュニティに所属する運命の我ら、
一息を無所属で味わうには、人生はせっかちすぎる。
 
まるで、自分が何者か、などと考えさせないでおこうとするような現代社会の構造に
腑が落ちない所もあるけど、
それはさて、
 
人生はランナーであるからこそ、
 
時にその歩みを半ば強引にでも止めてみないといけない。
 
一旦、何かをやめる。
止めてみて、初めて自分というものと対峙できる。
そう感じます。
 
 
だから僕もこの品行方正に勤めてきた職を一旦退き、
何者でもない、ただのかみじょーとして、人生をもう一回見渡してみたい。
 
 
 
 
 
ブランディングとは、自分と何かを紐付け結びつけること”
 
僕はとにかく最近誰かに会おうと心がけている。
それは僕が何者であるか客観的に感じたいからなんだけど、
それ以外に、自分を確立するためには、
僕らは誰かに会ってその人の目を通して、改めて、
 
「僕とはなんぞや?」
 
という問いかけができる。
 
 
言葉を選ぶのが自分であれば、その言葉の質や価値の有無を決めるのは、
自分ではなく、それはその言葉の矢印が向かう相手。
 
結局、言葉というものはレスポンスを通じて、客観的に自分へまた戻ってくるものなんだ。
 
 
自分というものもそう。
 
結局、得体の知らない、自分という存在も
 
誰にも会わないで、一人で殻に閉じこもっている限りは知り得る情報量に限界がある。
 
 
また人に会うという行為は、人生に点を射つ行為でもある。
 
行動は波紋。
大小問わず、投石の如く、人生の水面は揺れる。
揺れた時に反響、または反芻しあって
その波紋は更に拡大し、縮小し、融合して変化していく。
 
 
そう思うと、自分ていう一個はちっぽけなもんだわ。
ちっぽけだからこそ、何かに紐づける。
それを僕は常に自分のブランディングとしてやっていきたい。
 
また同様に、だれかと誰かを繋げるということ、
これもライフワークとして今後も続けていきたい。
 
 
 
 
 
”点と点が繋がると確信する。”
 
点を打つ。
さっきのところでも書いたけれども、
この点を打つっていうことを重ねていくと、
その点、別の所で打った点、
この二点には関連性がないとしても、
それを結びつけることは、可能。
 
その一見無関係そうな二点が繋がると確信すること。
これがすごく大切だって思った。
 
人は、言う。
 
自分には無関係だ。と。
 
人はまた言う。
 
自分にどんな利益があるのか、と。
 
 
でもさ、結局この一見無関係、無利益そうな点と自分を繋げることって実はすごく有益。
だって、無関係そうなら無関係そうなほど、そこには思いもよらないような新しい扉が開く可能性を内包しているんだから。
 
 
 
 
 
ジョブズの言葉も刺さります。
”今日という日は、
人生で最初で最後の日と考え、
「何をすべきか」選び、
深呼吸して、そして直感に従う。”
 
そして、この言葉。
この言葉も大きい。
 
普段、今日がはじめの日だと意識できてもさ、
今日が終わりの日だとは、思えないし、思いたくもない。
だからこそ、
 
この意識を持たなくてはいけないんだな!って思った。
 
今日って言う日は二度とやってこない。
明日っていう日も一回こっきり。
 
そのたった一日に何をすべきか、それを深呼吸して考えてみる。
考えてもわからないこともあるかもしれないけどさ、
 
今日はとびきり特別な一日なんだ。
無駄にはしないぞ!っていう気構えが大切なんだよな。
 
ありがとう。
 
 
 
 
 
 
そして最後に
”自分が吐き出した言葉は、須く自分に還る言葉だ”
 
 
これ、最後に大切にしたい言葉の紹介。
 
SNSの世界を見てると、
誰かの揚げ足を取る人、
ネガティブな言葉ばかり並べ立てる人。
非難する人、
 
ゴミだ、クズだって汚い言葉を並べ立てる人、
 
そんな人を目にする。
 
誰かを非難してる人は、結局その人に嫉妬、または囚われすぎ。
もっと明るい世界が広がるのにかわいそうな人。
 
自分ができないことをやってのける人がいると、羨ましさから、つい非難しちゃう人。
 
非難しても、本人も変わらないし、
逆にその波紋は自分に還ってくるんだ。
 
 
愚痴を並び立ててる人も
愚痴は新たな愚痴を呼び込む。
これも果てしなくもったいない。
 
 
結局、あなたが吐き出した言葉、それはあなたに還ってくる言葉。
 
言葉っていうのはつまりは、自分の生活、人生、習慣の一部なんだよ。
 
どんな言葉を吐き出すかで、その人は人生を構築していくんだ。
 
使うのも自分、選ぶのも自分、
吐き出すのも自分、
またそれが降りかかるのも自分。
 
であるなら、きれいな言葉を使いたい。
誰かに賛歌を贈りたい。
 
僕はそう思うね。
 
 
ということで、
 
今回のテーマは言葉ということで、
最近の僕が意識してる言葉について今回は書いてみました。
 
また是非、寄稿させてね。
 
ありがとう。
 
 
ライター:かみじょー
 
 

 

■writer

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